軍艦島クルーズ | 瀬渡し船や軍艦島クルーズ・上陸ツアーなら長崎【第七ゑびす丸】

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軍艦島クルーズ | 瀬渡し船や軍艦島クルーズ・上陸ツアーなら長崎【第七ゑびす丸】

明治、大正、昭和と続いた、今は無き活気。廃墟の島、軍艦島。

アイランド号のガイドさんは元軍艦島の方です。軍艦島が炭鉱として、賑わっていた当時の人々の話や石炭を掘った話など貴重な話が聞けます。

他の船と違って、少人数のクルーズなのでいつでも質問ができます。

船の上や島に上陸した時でも気軽に聞いてください。仲良くなると他のガイドさん達が知らない貴重なお話も聞けるかも!

アイランド号

2009年、9月に野母崎~軍艦島遊覧航路の許可が降りて同10月から就航、発着所は野母崎海の健康村前桟橋から

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発着時間

10:00発 11:30着(野母港)

15:00発 16:30着(野母港)

渡船料金

1~4名

1隻 ¥24,000

5~7名

1人 ¥5,250

8~14名

1人 ¥4,200

15~20名

1人 ¥3,150
上陸料 1人につき¥300

ご予約について

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端島(軍艦島)沿革

「軍艦島」とは、長崎港より西南18kmの海上に浮かぶ孤島 端島に冠せられた通称である。

明治23年(1891年)より昭和49年(1969年)の閉山まで、三菱社の経営によって84年の長期にわったって、主として八幡製鉄所に向け良質の製鉄用原料炭を供給し続け、我が国の近代工業化を文字どうり下から支えてきた。海底炭鉱の島である。

南北約480m 東西約160m 面積にしておよそ6.3haのこの小島の直下垂直1,000mを超える深海底に数k㎡の広大な鉱区を抱え、最盛期には、41万トンを超える出炭をみた。

当初、それは洋上の一岩礁のしかすぎなかったが、採掘技術の発達とともに鉱区が拡張されるに伴い 島の周辺をズリで埋め立てながら沿岸堤防の拡張を繰り返し、拡大形成されていった。

炭鉱の開発と並んで、そこで働く人々のための住宅群の建設が盛んに行われ、特に大正5年(1950年)以降、当時の日本ではまだ実験的段階であった鉄筋コンクリート構造の 高層アパートが次々に建てられていく。

昭和20年の敗戦をはさむほぼ10年間は 日本の近代建築史上の空白の時代と言われているが その厳しい時代にさえ、途切れることなく建設が続けられた。

結果、最終的には 50棟に近い建築郡が ジャングルジムのように林立し、さながら軍艦のような外観を見せる人工の島を形成するに至った。最盛期の昭和30年ごろには、島内の居住者が5,300人を超え、1ha当たり1,400人を超す世界でもまれにみる、超高密度人口を擁していた。

昭和30年代 後半より、石炭から石油へのエネルギー転換政策のもとで、次第に合理化の波による緊縮化が進み、昭和49年1月、ついに炭鉱の幕を閉じ、同年4月以降は 全くの無人島として 放置されている。

この島には 会社ぐるみの地縁的共同社会の存在がみられ、空間的には「ゆりかごから墓場まで」小規模ながらも生活に必要なあらゆる共同施設が立体的に組み込まれており、島内だけで完結した一つの都市空間が凝縮されて形成されていた。

この島の歴史や様相はあらゆる意味で日本列島の縮図といえる性格を示している。

発着場所 野母崎海の健康村前桟橋
発着時間 10:00発 11:30着(野母港)
15:00発 16:30着(野母港)
船名 アイランド号
ツアー申し込み 090-8225-8107
連絡先 〒851-0503
長崎県長崎市高浜町3960-3
第七 ゑびす丸 (馬場)
TEL / 090-8225-8107

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軍艦島を海の上から望む。PM5:00
夕日を受け、赤く染まる島影、今ではここに5000人以上が生活していたとは想像ができません。

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